2019年07月31日

過去を切り取る


今日は朝から汗が出るほど暑く、8月も目前でやっと夏らしい気温になってきました。
関東も梅雨が明けましたが、その梅雨明けの日に雷も鳴る夕立にあいました。
帰宅途中、「あれ、ここ信号なかったっけ?」と通っていたら、まさかの停電で信号が消えていたようで。
あのとき信号は赤だったのか、青だったのか。
過ぎてしまったことはもうどうしようもないのですが、青であったことを祈るだけです。

その数分前、一人の大学生が大学前で何か写真を撮っていました。
通う大学前なんて見慣れてて撮るものなんてあるのかなと思っていたら、ピカッと光る雷。
なるほど、稲妻を写真に収めようとしたのですね。

私は、写真は撮るより見る派で。
桔梗屋のブログは毎日いろんな人がいろんな写真をあげていて、
私とは違った角度から感じたことや思ったことが綴られているので、見るのが楽しいんですよね。

写真は風景を切り取るものであるとともに、時間を切り取っていると思います。
見ているときは過去に戻れるからでしょうか。

あと、子どものときのカメラといえば使い捨てカメラだったからかもしれません。
戻せない時間と、それを撮ったらやり直せないカメラ。
正に、「そのとき」を撮っていたカメラでした。

使い捨てカメラを使っていたときは大体指が入ってしまうか、ほとんど指だったこともあります。
でも、「消せない」というのは使い捨てカメラの魅力かもしれません。
あとは、現像するまで何が撮れているか分からない、現像を待っているときのあのワクワクした時間。

今度友人と旅行するときは、使い捨てカメラを提案してみようかな。
やり直しのきくカメラは一切禁止で、旅の最後に何が撮れているか見せ合うのです。
少しいたずらっ子の気分ですが、もう今から楽しみです。

ozawa