富士には月見草がよく似合う
「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。」
大学進学を機に上京していたわたしは
そのさなかで『富嶽百景』のこの一節に出会いました。
後述するあの有名なフレーズも知らないで
六畳一間に充満する不安や焦りを、
ちょうどお酒のたぐいで流し込んでいたような時分。
憤りにも近い郷愁が煮えたぎっていました。
苦悩を抱えた主人公が、山梨県の御坂峠にかばんひとつさげてきて
毎日、毎日、富士を目の前にしながら生活を続ける
感情の変化によって、富士山の見方が変わっていく短編小説。
作者の太宰治をモデルにしている「私」が当初
俗っぽく、美化されがちな富士はだめだと決めつけていたことにも
なにかシンパシーを感じたのかもしれません。
やまなし(山無し)という響きを有しているにも関わらず
四方を山々に囲まれていることに
閉塞感を覚え、飛び出していったわたしにとっても
「日本一の富士山」というシンボルは
清潔なものを好む大衆にもてはやされるようで
どこか憎たらしかったからです。
「三千七百七十八メートルの富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。」
今回のブログ記事タイトルにもしている、あまりにも有名なこのフレーズ。
月見草はその名の通り、夜咲きの一日花。
夕方から花が開きはじめ、朝にはしおれていきます。
立派に聳え立つ富士に対し
日陰のものとして描かれている月見草が
みじんもゆるがない姿に、主人公が自身を投影する場面です。
「桔梗屋の月餅 甲斐の月」は
この富士山と月見草をイメージして作られました。
桔梗信玄餅の濃い黒蜜が入った餡と風味が香ばしい「黒ごま」と、
さまざまなナッツの食感が楽しい「木の実」のお味がございます。
月見といえば、もうすぐ十五夜を迎えます。
一年で、一番美しいとされている
「中秋の名月」を見ながら秋の収穫を祝う行事です。
光を見るということ。
観光とは、光を観ると書き
その地域での生活や営みを丁寧に見てもらうことなのだそうです。
地元にUターンして考えることがあります。
たとえば
「なすがまま」と口を揃える大人に
土着的だと、諦めたのはむしろわたしのほうではなかったか。
発される怒号の言葉尻にばかり目くじらを立て
根底にあったであろう心配を蔑ろにはしていなかったか。
車を走らせるとき、四方を囲む山から
進むべき方角を無意識に教えてもらっているように。
県民の心のふるさととして
富士山は確かに位置しているのだと、強く思います。
山梨の代表的な銘菓、山梨観光のお土産として
多くの人に愛されている桔梗信玄餅を作っている、桔梗屋。
その桔梗屋の月餅、甲斐の月もまた観光の一翼を担う
桔梗屋らしいお菓子のようでなりません。
月の光に、山梨に根ざして暮らす人たちの輝きを見ながら
今年もお月見を楽しみたいです。
おさだ
